感情と言語化
わたしは心理カウンセラーになりたい。
けれど、多分、それは難しい道のりになると思う。
心理カウンセラーになるには、まず大学院生にならなければならない。
そして、討論を何回も行い、論文も何枚もかかなければいけなくなる。
わたしは、この討論だとか論文が大の苦手だ!
じぶんの考えを言語化することが本当にできないからだ。
というよりむしろ、じぶんの考えを自覚することがむずかしいのかもしれない。
つくづく自己表現というのが苦手なのがわかる。
自己表現するためには、
認知→感情→言語化
の作業が必要だ。
わたしは、養育環境のせいもあるのか、
じぶんの感情を感じることが苦手だ。
なにをしても、なにをされても、心を動かされることはない。
ない、と断定するのもおかしいが、動きにくいのは確かだ。
心が動いていないまま、なにかを言語化する場所に追いやられたとき、わたしは頭でものを考える。
そうすると、じぶんの心と言葉に乖離が生じてくる。
自分で考えているのに、自分で考えている気がしない。
他人が話しているような感覚。
そうすると、論文や討論でのわたしの言葉は、魂のこもってない、一貫性のない、他人の言葉を貼り付けたような、
たどたどしい文章になる。
気持ちわるい。
じぶんの意見がない、ということに、かなりコンプレックスを抱いていたのですが、
抑圧しすぎて、気づけなくしているのだろう、と最近思っている。
はやく、じぶんの感情に気づきたい。